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大相撲豆知識
 
 
初切、初っ切り(しょっきり)とは
 相撲の禁じ手を面白おかしく紹介する見世物。相撲の取組の前に決まり手四十八手や禁じ手を紹介するために江戸時代から行われていたが、現在では大相撲の花相撲や巡業などで見ることができる。

 幕下以下の力士二人と行司が土俵にあがり、禁じ手を紹介する。例えば相手を蹴り倒したり、力水を吹き掛けたりする。禁じ手を用いるわけであるから取り組みもその度に仕切り直しとなり(初っ切りに限り反則負けはない)、勝負はなかなか着かない。

 普段の取組では見られない滑稽さから人気が高く、これを見る為に巡業先に足を運ぶ者も居る。

 蛇足ではあるが弓取式同様に、この初切を務めた力士は出世できないというジンクスが存在する(統計を取ったわけではなく、あくまで俗説)。

 ただし過去には栃錦清隆が横綱に、出羽錦忠雄が関脇に昇進しており、これで破られたと考える者がいる一方、現在でも相撲界のジンクスを語るときにはかなりの割合で出てくるものである。 幕下以下の力士でも初切では大銀杏を結うことが許されている。

相撲甚句とは
相撲甚句の概要
 相撲甚句は江戸時代の享保年間に流行歌として定着しました、一般的には甚句というと、民謡の秋田甚句、米山甚句、木更津甚句等が有名です。一方角力甚句は幕末明治時代に花柳界で流行した本調子甚句、二上り甚句を取りが座敷で覚え地方巡業で流行らせた様ですが、この角力甚句から名古屋甚句、熊本甚句、そして隠岐相撲取り節等があります。

 この様に相撲甚句とは、単に相撲取りが花相撲とか、地方巡業で唄うだけでなく日本 各地の民謡との係わりが深いようです。(この項は日本相撲甚句会発行の相撲甚句本参照)お相撲さんが土俵の上で化粧回しをして唄っているものですが、独特な節回しと歌詞が、相撲ファンに親しまれて伝わってきました。)

 時代と共に土俵の上の甚句も変わってきて、最近はのど自慢の力士が得意の声で唄い聞かせる様になってきました。

 近年では甚句独特の哀愁のある節回しが一般の人達にも受けて全国に相撲甚句会が結成され、北は北海道から南は九州まで、全国で約70団体1,000人以上の会員があり毎年全国大会も開催されています。

 相撲甚句の種類と形式相撲甚句には大きく分けると、「まくら唄」「本唄」「はやし唄」になっています、「まくら唄」は「本唄」の前に唄う短い唄の事で「前唄」「後唄」になっていますが唄い方は同じです。

本唄も歌詞はいろいろありますが節回しは同じです。甚句は民謡や小唄、端唄と違って鳴り物がありません、アードスコ「前唄」「後唄」「本唄」「はやし唄」「本唄」「はやし唄」の順に唄っていきます。

 甚句は小唄、端唄、民謡とは違って楽器がありませんので、ドスコイ、ドスコイとホイだけで唄うことから、バス旅行やら忘年会、結婚式の披露宴等ではとても喜ばれています。

太鼓打分とは
寄せ太鼓
/相撲協会の前身相撲会所の時代、相談事があった時親方衆を呼び寄せる時の合図。

一番太鼓/天下泰平・五穀豊穣を祈って行われていました。 清めの太鼓と言われ、昔は真夜中の2時か3時に打たれていました。

はね太鼓/相撲が終わると同時に打たれ皆様に向かい「ごきげんようお帰りください。又明日もおいでをお待ちしています。」と打たれています。 従って1日興行や千秋楽では打たれていません。

弓取式とは

 弓取式(ゆみとりしき)は、大相撲の本場所で結びの一番の勝者に代わり、作法を心得た力士が土俵上で弓を受け、勝者の舞を演ずる事である。全取組終了後、打ち出し前に行なわれる。

 平安時代に行われた相撲節会で左近衛府と右近衛府に分かれ相撲を取り、勝った方の立会役が矢を背負って、勝者の舞を演じたのが始まりといわれている。

 今日の原型ができたのは、寛政3年(1791年)6月11日に横綱である谷風梶之助 (2代)が徳川家斉の上覧相撲で、土俵上で弓を受け「敬い奉げて四方に振り回した」ことからである。

 本来は三役揃い踏みに大関として登場した2人のうちの勝者が行なっていたが、千秋楽に幕内の取組がなくなり、幕下力士が行なうようになった。

 なお明治以降に幕内力士が弓取を行なった記録も数例存在する。元々は千秋楽にのみ行なわれ、この場所最後の勝者を称えてのものだった。

 そのため千秋楽結びの一番が引分や痛み分けの場合は中止された。昭和27年5月場所からは、毎日行なわれるようになった。

 弓取を行なう力士は向正面に控えとして座り、結びの1番で東が勝てば東から、西が勝てば西から土俵に上がり、弓を振り、四股を踏む。なお、控え席には何も敷いておらず、基本的に地べたに座る(関取が弓取りを行う場合は座布団が用意されている)。

 弓取を行なうのは原則として幕下力士だが、特別に大銀杏を結い、化粧廻しを締めて、土俵に上がる。基本的に横綱がいる部屋の力士によって行なわれ、横綱不在の場合は大関のいる部屋から選出される。

弓取式を行った力士は、関取になれないというジンクスが相撲界にあったが、1990年5月場所まで弓取を勤めていた九重部屋の巴富士が小結に昇進したことにより、影を潜めた。

 2007年3月場所まで弓取を務めていた高砂部屋の皇牙は2006年5月場所から十両に昇進した。十両力士(関取)が本場所の弓取式を務める事になったのは、1975年3月場所の板倉(後の前頭・大豪)以来実に31年ぶりの事である。一方で、元十両の秀ノ花は関取から陥落した後に弓取を務めた。

 なお弓を落とした場合、手を土俵につくと負けとなり、縁起が悪い事から、足で拾う。ただし足の指で摘まみ上げるのではなく、足の甲に弓を乗せ、足で弓を上に跳ね上げたところを掴み取る。

 弓を土俵の外に飛ばした場合は、呼出が拾って、手渡すことになっている。最近では2008年3月場所の10日目に、当時三段目で高砂部屋の男女ノ里が弓を落としてしまい、作法通りに足を使って拾い上げている。

 出羽錦は栃錦の、玉椿は自分の引退相撲で弓取を行なった。